あるヨギの自叙伝を初めて読んだ時から、
(と言ってもまだ1年前か??)
スワミ・ヨガナンダ ジ が最初に学校を設立したラーンチへ行ってみたい、
いや、いつか必ず行くだろう、
と思った。
行くべきであれば、そこへ繋いでくれる人があらわれる。
いつか。
それはいつだろう。
でも、まだまだ遠い未来の気がするな。
そこに思いを馳せるとき、
春の陽だまりに包まれるような暖かさを覚える。
今回のインドで、
ヒマラヤから降り、先生たちと別れてすぐ、
ラーンチへと連れて行ってくれる人に出会った。
インド人からの声かけを華麗にスルーする術は身につけているけれど、
強い磁石に引き寄せられるように、彼の質問に答える事を避けられなかった。
この引力は何だろうと不思議に思う好奇心に勝てず、
彼の会話を許した。
すぐにお互い、同じグル 肉体を持ったままヒマラヤに生き続ける聖者【ババジ】に導かれた兄弟弟子 である事を悟った。
多くを語る必要はない。
まるで秘密の合い言葉を確認するように、
ほんの数言で
「あぁ、だから私たちは今ここで話をしているんだね」
という事を分かり合えた。
彼はNGOの代表で、
ヨガナンダの系譜の瞑想を伝授されてもう10年以上続けている。
しかし私より年下。
僅か13歳頃に、不思議な導き、そして避けようのない引力により結んだグルとの縁。
聞くだけで魂が共鳴した。
どのようにしてグルが弟子を呼び寄せるか。
どのように完璧に、グルは弟子の歩む道を用意するか。
そして、我々弟子はどのように社会に奉仕するべきか。
…私は、ヒマラヤで受けてきた濃厚なエネルギーを受け止め切れておらず、
一体どこへ向かえばいいのか、
何を求めているのか、
何に祈ればいいのか、
わからなくなっていた。
以前のように神に語りかけることができず、
以前のように導いてくれているグルの存在をイメージする事は出来なかった。
神に対して抱いていたイメージが、幻想だったと思う。
ただ、新しいイメージを掴んでもいない。
【過渡期】
前にも進めていない。
もう後ろにも戻れない。
そんな思いを漠然と感じながら、瞑想から抜け出て、
そして、旅の途中で買った英語版のあるヨギの自叙伝(パラマハンサヨガナンダジの肉声CD付き)をスーツケースから出して、
神棚に置いて外へ出た矢先の出来事だった。
「ラーンチへ行きたければ、連れて行ってあげるよ。
きっと素晴らしい霊感を得るだろう。」
思わぬ出会いに驚きを隠せない。
ただ、私はラヒリ・マハサヤとは別の系統で今学んでいる弟子であること、
今の状態(初心者、弟子)で、直接の先生の指示以外の場所へ出かけることは修行上できないことなどを伝えた。
今までの
インドのヨガと言っても、本物に出会っていない人たちは、
いくら素晴らしい事を語れども、この修行の身分において大切な事を理解せず、
もっともらしいことを言って論破しようとする。
そんな反応にこの数年うんざりしてきた私は、
私の立場を伝えながら、彼を試した。
同じ弟子か。
まやかしか。
説明せずとも、私の守るべきルールを理解し、
自らの今の学びと修行に専念するよう促してくれた。
「我らの共通のグル、ババジが、君がラーンチへ導けば、その時には行けるから」
(私の習う系統も、遡ればババジへ繋がります)
表面的に属する所が違っても、
同じ弟子と出会えたのは心強かった。
ずっと先を歩いている先達ばかりに出会ってきて、
先が遠くて見えずに疲労がたまっている私には、
同じ方向に向かって歩んでいる同胞がいることが、
なにより心強く思った。
勝負ではないけれど、
負けていられない。
(とっくに負けてますが。笑)
せめて、「私も君と同じ修行の身だ」と言えるくらいには、
頑張りたいと思う。